
2020年の春、半ば強制的にリモートワークを強いられた(不本意な背景ながらも、やっと社会はリモートワークに目覚めた)。
それから意識や技術(リモートのメリットの共通認識、ネットワークインフラやセキュリティ・クラウド基盤技術などの進化、など)が目まぐるしく醸成され、リモートワークがようやくスタンダードになりつつあった2023年の春、耳を疑うような事件は起こる。
パンデミックが収まりつつあるのに乗じて、こともあろうに「出社回帰」(「出社怪奇」といってもいい)を声高に叫ぶ 企業が続出し始めたのだ。
わたしの周辺も例外ではない。
出社のための出社をルール化するという痛ましい暴挙が横行し始めたのだった。
それから徐々に、「バランス」という出社主義目線の名目のもと、「出社」と「リモートワーク」の「ハイブリッド」なるものが模索され、定着しつつあった。
「リモートワーク」で何ら不便がないどころか、むしろ効率化し充実した人々にとっては、そもそも「バランス」も何もない。単に出社したい人間が「自分がスタンダード」だと言い張りたい前提を押し付けているだけだ。
出社したい人間の都合で出社する理由があり出社したくて出社するのだったら全く構わない。どうぞご勝手に。
しかし「出社するのは当然だ」「出社してこない連中はおかしい」「出社しないとついていけない」となると、まったく話が違う。
最近、「出社した者たちだけで物事を進めてしまい、リモートワークのメンバーが参加することすらも忘れ、出社した者たちだけで議論した結果を関係者に共有することすらも忘れている」といった由々しき事態が散見されるようになった。
リモートのメンバーに知らせもせず声もかけずに勝手に盛り上がってしまい、その内容を共有できていない。
ペンでホワイトボードに書いたはいいものの、現地で満足して消してしまって共有できていない。
話した内容のメモも録画もなく、当然共有もできておらず、そもそもそのこと自体に問題認識すらもない。
リモートワークのメンバーを置き去りに、 拠点に集合しているメンバーだけで話を進めてしまい 、チームなどの組織での情報共有が不十分になる。明らかに不信感の醸成につながる愚行だ。
これと似たような問題が、実はリモートになったばかりの頃に発生した。
かつて、リモートに慣れるのが早い人たちが不慣れな人たちを置き去りにした、いわゆる「リモートハラスメント」だ。
しかし、リモートワークが浸透するにつれ、この過ちは 人々に自覚され、着実に是正されてきた。
拠点にいようが、各地の様々な場所からリモートで参加しようがストレスなく 意見を交わし合うことができるようになったのだ。
多様な働き方を認め、地理的、時間的な制約から解放された。
場所が離れていても参加できる。
機器の設置や 脱着 移動の時間といった 不毛な ロスから解放される。
その時間に参加できなくても後から録画を見て キャッチアップできる。
会議中に画面共有しながら議論したテキストや図表を、そのまますぐにシームレスに共有できる。
こういった様々なメリットが浮かび上がってきた。
まさに、パラダイムシフトが急速に進んだかのように見えた。
このようなメリットがようやく当たり前になったかのように見えていたのだ。
だが、残念ながら昨今、変われなかった思考停止の出社主義たちが、様々なメリットを無自覚に無視し、自分たちが馴染みがある方法を再び蔓延させることで、醸成されたはずのメリットを破壊していく。
今、「リモートハラスメント」と同じレベルの幼稚な「出社ハラスメント」が無自覚にばらまかれている。「〇〇ハラスメント」と安易に言う風潮は好ましくない。しかし、敢えて言う。「出社ハラスメント」と。
「出社しないとサボりそうだから」「出社すると集中できるから」「対面のほうがやりやすいから」
自分の性癖がまるで一般論的であるかのように錯覚しているのかもしれない。
いったいこの人たちはこの数年間、何を見聞きし、何を学んだのだろうか。
ようやく世界が次のステップに進めた「働き方の多様性」からの逆行と退行。
変われなかった人たちが、変わる前のものと世界へと、当たり前のように戻していくのだ。