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アフターコロナで「全員一律出社」再来!意外なメリットは?


強行と慨嘆

4月からついに、「週1回の全員出社」が強行された。
かなり大きな範囲での組織的な取り組みだという。何曜日にするかは部署単位。

気になるのは、リモート環境で「解決を目指そう」でなく、「元に戻そう」という泣けるほど安直な思考停止。
「進化を加速させる」のではなく、「立ち止まって考える」のでもなく、「逆行して退化する」とは!
本当に短絡的で前時代的な意思決定に、心から唖然としている。

「コミュニケーション改善のため」という手段を建前にした、「出社のための出社」。手段の目的化
リモートワークの大きなメリットと小さなデメリットを比較し、「コミュニケーションがとりづらい人やシーンがある」といった一部の課題をクローズアップしたうえで、雑に全員に一律に適用するこの乱暴さ。ワイドショーよりも薄っぺらい雑な導出。
「コミュニケーションの量や質が低下した」と声高に結論づけているのだが、むしろ、リモートワークによる働き方のパラダイムシフトが進み、コミュニケーションの量は増え(または変化せず)、質は変容した(または選択肢が増えた)のではなかろうか?

「元に戻したい」前提が容易に透けて見える。(また、これを記念すべき足掛かりに、状況をみて出社回数を増やそうという狙いも透けて見える。)

「多様性」を掲げながら「全員」「一律」を強制。
これまで数度のアンケートが実施され、週何回が理想かといった集計がなされてきた。この時点で既に「一律」バイアスが根底にある。
「出社したほうがいいケース」「せざるを得ないケース」「不要なケース」といった様々な意見を紹介しながらも、これらの意見はあくまで補足扱い。
そして、「個人や業務の都合に合わせて」と建前的に補足説明を添えるものの、「原則」として「全員」に「一律」と大きく謳い、組織の施策と強調する。組織の施策と謳われては、組織に所属する以上、面と向かって異を唱えるものは見当たらない。
「全員」の範囲が部署単位に区切られてはいるものの、スケジュールが合う(また合わせる必要がある)単位の実態は部署単位ではない(その中のユニット単位、部署横断のプロジェクト単位、など)であることもザラだ。つまり部署単位という強制は一方的で非常に雑だし、本当に必要かどうかは関係ない前提といえる。決まりを作る側の安易な都合ということだ。

リモートの経験が進み、これまでの「出社」、特に「全員一律出社」が、総合的に如何に愚行で無駄金だったのか、多くの人たちが実感を伴って気が付いたはずだ。
しかし我々の組織としては実は理解できなかったようだ……
この「週1回の全員出社」は、その証明、そして表明なのだろう。

我々は変われなかった。

「DX」(デジタルトランスフォーメーション)を自他に推進・加速しようとするなかで、自身が「トランスフォーメーション」できなかったという、この現実……
デジタルネイティブに世代交代するまでは、変われないのかもしれない。

改めて「出社」のメリデメ

さて、改めて「出社」という「手段」のメリットとデメリットを考えてみる。
あくまで私個人の状況についてとなるが、状況の変化点である復活した「出社」とそれが「全員一律」である点にフォーカスし、「ビジネス」「プライベート」の2つの視点で、それぞれのメリットとデメリットを挙げた。

  • ビジネス
    • メリット
      • 出社によるメリット
      • 全員一律であることのメリット
        • セレンディピティの発生率が増加する可能性を後押し(同僚などと話す機会などが加わる)
    • デメリット
      • 出社によるデメリット
        • 価値を生み出さない時間の増加(通勤の移動、端末や機器の設置・取り外し、会議室・座席の確保、部屋・フロアの移動)
        • 「出社ありき」の強行を受けた「出社という行動をうまく活用する方法を探す」取り組みの追加発生
      • 全員一律であることのデメリット
        • 価値を生み出さない時間の増加を後押し(エレベータ待ちの再来、コロナ渦で縮小した拠点に一斉に押しかけ会議室・座席の確保が困難な可能性が高まる)
  • プライベート
    • メリット
      • 出社によるメリット
        • 運動機会の再発生(徒歩数千歩)
        • 強制的な一人の時間の再発生(英語リスニングなどに使える)
        • セレンディピティの発生率が増加する可能性
      • 全員一律であることのメリット
        • セレンディピティの発生率が増加する可能性を後押し(同僚などと話す機会などが加わる)
    • デメリット
      • 出社によるデメリット
        • 列車遅延などによる時間喪失の再来
      • 全員一律であることのデメリット
        • 混雑による時間喪失(エレベータ、レジなど)の再来

ザックリ言うと、メリットは発生の可能性があるかもしれない「セレンディピティデメリットは発生確実な「時間喪失」だ。

ビジネスの視点

ビジネスの視点でのメリットは、正直、セレンディピティの発生率が増加する可能性くらい。例えば社内で久しぶりに会った方と新しいビジネスの話につながる、通勤中に見たり聞いたりした何かから良いアイディアが生まれる、といったものだ。ただ、セレンディピティは言わば「はぐれメタル」的なものであり、時間対効果が小さすぎるため、大きなメリットだとは言えないだろう。とはいえ「はぐれメタル」の生息地で歩き回るといった行動に時間を費やすのと同じように、同じ日に出社した知り合いに話しかけるなどの行動に時間を費やすことで、セレンディピティの発生機会は自助努力で微増できるかもしれない。(ただし相手の都合も察してお時間いただかないと迷惑すぎる危険あり……)

なお、会社がリモート環境で(勝手に)問題視している「コミュニケーション」については、実は対面でもリモートでも十分にとれる。私自身、困った経験は全くない(むしろ軽快)。そのため、「物理的な」対面という手段は、メリットにもデメリットにもならない。

デメリットはいくつかあり、業務を直撃する。
出社して席をとったり(そもそも席が埋まっていたり)、会議室を確保したり(取れなかったり)移動したり、移動のたびに機器を付けたり外したり、といった「リモートでようやく解放されたはずの無価値な時間」が再発生するのは確実で、モチベーションは低下の一途。
また現場では、出社による時間ロスに加えて、出社という行動をうまく活用する方法を探すという謎の負荷も追加発生。「部署ごとに全員一律同日出社しなさい。で、何するかは任せる」ということなので。

メリットとデメリットの双方を挙げようとしても、やはりデメリットが目立つ
ちなみにこれらのデメリットは、リモート前から存在していた自明の実態であり、それが再来するだけのことだ。

プライベートの視点

プライベートの視点では、いくつかのメリットがある。運動機会や一人時間の確保などだ。また、セレンディピティについても、宝くじ的ではあるが、発生すればプライベート(趣味など)にもよい効果があるかもしれない。

組織の意思決定により結果的には「ビジネスを量や質を犠牲にして、会社のお金でプライベートへのベネフィットを提供してくれた」と捉えることもでき、そう考えると(週1回程度であれば)満更でもない。(前向き?)

憶測

強行の裏には、やはりお金の流れがあるのではと憶測してしまう。
特に、大きな企業なら影響も大きい。
例えば、1人1,000円の交通費が発生したとして、10,000人の従業員が出社すれば、1日1千万円の売上が交通機関に発生する。週1回なら月4回で、月額4千万円。年間4億8千万円の売上となる。交通期は会社から支給される。つまり、会社から交通機関に金が流れる。同様の出社の取り組みを同規模の数社がやれば軽く10数億は行くし、出社回数を増やせばさらに倍増以上。
こうなると、交通機関をお役様とする企業や部門にも良い影響が還元されるのは容易に想像できる。お金が回り、経済には良い影響を与えそうだ。
正直、もっと大きなどこかで何かの意思決定があったんでは、とも疑ってしまう。とはいえ、あくまでこれは私個人の憶測(妄想?)ですが……

余談

前時代的な価値観

Withコロナで1年ほど経ったころ、「対面でご挨拶できず失礼いたします」と、リモート会議でお詫びされたことが度々あった。
どうやら「対面」でないことが「失礼」と考えているようだった。
電話より対面が丁寧、メールより手紙が丁寧、といった謎の前時代的な価値観も彷彿とさせる。
2000年代初頭、事務連絡をメールでやりとりしていたら「『メール』でなく『直接』言え!」と、上位職から横から頭ごなしな叱責メールが来たことを思い出した(その叱責が『メール』な突っ込みはさておき)。

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関連記事として、「全員一律出社」再来前に感じていた状況についても記事にしています。
parupuntist.hatenablog.jp