思えば私の30代は仕事、家事、育児に忙殺された10年だった。
才能(あれば...)が開花すると言われる30代半ばまでの時間は取り戻せない。
共闘したはずの人間にすら人格否定まがいの非難をしばしば浴びせられてきた。
確かに、あの10年間を自己投資に費やしていたら、現状は変わってきたのかもしれない。
後悔は確かにある。
しかし、あの時の判断は正しかったという確信もある。
あのとき、自己投資と天秤にかけたのは子の健やかな成長、そして親子のつながりだ。
時間の制約から、どう考えても両立は不可能だった。
どちらも中途半端に、という方法では共倒れが想定された。
そこで、どちらが最も人生で大切なものか、自分と向き合い、問うた。
人生で一番大切なもの。
それは幸せだ。
自己投資は自分が幸せになり、周囲も幸せになる可能性がある。
子の成長、親子つながりは、自分が一番大切な人が幸せになり、かつ自分も幸せになる。
また、時間軸で考えると、前者はある程度はスライドできるのに対して、後者はその年齢、その時を逃したらもう、取り返しがつかない。ある年齢のあるイベントは、その年齢のその時しか来ない。
一番大切な人に、今、このときだけ。
どちらを取るかは明白だった。
そして選択した。
10年以上を経て振り返ると、やはり選択は正しかったと確信する。
では、なぜ後悔するのか?
それはやはり、もう一方の選択に未練があるからだ。
決断したはずなのに未練があるということは、覚悟が足りなかったのだろうか。
覚悟はしたはずだ。
当時の覚悟の問題ではなく、現時点での気持ちの問題ではないか。
そこで、2つの道を比較してみる。
1つの道は現実。今だ。
後悔もあるが、同時に非常に満足している。
後悔については放棄した自己投資と、得られたかもしれないその結果だ。
一縷の後悔がありつつも、取り組んできたことには納得しており、現時点での結果にも満足している
つまり、トータルでは幸せなのだ。
人に聞かれても幸せだと言えるくらいに。
もう1つの道はタラレバで、自己投資を優先した場合。
これを考えた時、改めて良い選択をしたと実感した。
この道で失うものは子の成長への貢献、親子のつながりだ。
これを失ったとしたら、人生やり直したくなるくらいに耐え難く、考えただけでも暗黒のような後悔が襲いかかる。
一方、現実の後悔については、人生やり直したいレベルの後悔ではない。
後悔のレベルがまるで違う。
ネガティブな比較だが、両得できなかったので仕方がない。
比較できたことにより、現状に対して説明的な納得感が得られた。
要はどちらの後悔が大きいかということだ。
後悔は断ち切るものと普通は思うはず。
だが、ものによるかもしれないが、受け止めて、受け入れる、それによって前を向く力になる後悔もあるのだと、私なりの気づきを得た。
そして今。
子育てのフェーズが変わって多少のまとまった時間も確保でき始めた。
時間切れの毎日は相変わらずだが、やろうと考えていた自己投資を増やせている。
子どもと笑いあい、元気な笑顔を愉しみながら。