毎日が時間切れ!

Time is up every day!

出社ありきの勘違いな圧力

パラダイムシフトできない幹部たちからの「出社」ありきのアンケートやら職場討論指示が、この数ヶ月でより一層エスカレートしてきた。
リモートワークに理解を示すフリをしながら、コロナ禍での働き方を一過性のものと誤解し、「対面」「戻す」という無自覚な呪いを再び蔓延せようと必死だ。
リモートネイティブが多数派になるまで、世の中は変われないのだろうか。

「一斉」「一律」で育ってきた世代の幹部らは、「みんな週に何回は出社すべき」という安易なルールを強制したくてたまらない。
でも現場はちゃんと現実が見えていて、ルール自体が無意味だとの理解が広がっている。
あくまで出社は手段であり、お客様、職務、個人の事情などに合わせて最適な選択をすれば良い。

仲間の働きぶりの見えづらさやロールモデルの得づらさといった課題は挙がるものの、一律出社のルールは噛み合わない。
リモート以前から見えやすさも見えづらさも変わらないし、リモートでいくらでもコミュニケーションは取れる。
どうしても顔が見たければ、ネットワーク帯域の問題はあれど、やろうと思えば事前にアナウンスでもしてポイントでビデオオンにでもすれば良い。

対面至上主義が一生懸命、出社回帰のロジックをばら撒いている。
五感を使ったコミュニケーションは深いのだと煽ろうと試みるが、五感がコミュニケーションのノイズにもなり得る側面を無視している。
聴覚に偏るコミュニケーションを見直そうと提言するが、画面共有による視覚での情報伝達は非常にリッチであり、聴覚と視覚を組み合わせたコミュニケーションが成長し成立している側面を無視している。
五感の比率を語るのは本質でなくナンセンスだ。

グローバルを掲げる企業において、先駆者たる企業たちでは多国籍のチーム編成は茶飯事だ。
そんな状況にもかかわらず、グローバルを掲げる傍ら「みんなで週に何日出社するのか検討せよ」と言ってくる。
様々な国々のメンバにそんなこと言えるとでも本気で考えたことがあるのだろうか。 

昨年ころから「出社」にこだわるメッセージが空回りしつつも増加してきていたが、この数ヶ月はやけに必死だ。
何が不自由なのか全く理解できないが、会社に人がいないことを嘆く幹部の声は度々耳にしてきた。

自分自身若くはないが、「将来こうはなりたくないな」というお手本が自身の幹部たちとは…だいぶ哀しく残念な気持ちだ。



2023年4月14日追記

「みんな週に何回は出社すべき」という安易なルール

翌年度、このルールが遂に現実のものとなりました。記事にしています。
parupuntist.hatenablog.jp